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これが田口ランディの処女作ということになるのだろうか。編集者から「ヴェトナム行ってみませんか?」の一言でヴェトナム行きが決定し、チケットや宿の手配をまるっと人に任せやってきたヴェトナム。彼女のイメージは「うるさい、臭い」。窓のないホテルの部屋には慣れないし、ホーチミンはどこに行ってもゴミゴミしていて好きになれない。そんな田口に友人は電話で「ホーチミンじゃなくてメコンデルタに行け」と言う。そうしてガイドも断りカフェのツアーに参加することになる。
旅についてのエッセイは好きだ。ヴェトナムは一度は行って見たい。でも私はホーチミンのカオサンロードだけで満足してしまうんだろうな。



28冊目の丸かじりシリーズである。今回はショージセンセーがコンビニで初めておでんを買って見たり、どんぶりメシをなんのおかずもなく食べて見たり、煎餅の食べ放題に行って見たり。夢にまで見たTボーンステーキを食べたり、ふと、お刺身でお昼ご飯を食べたりもするが、やっぱりコンビニのおでんを買いに行く話が最高ですね。
そもそもおっさんなんてのはコンビニでやたら傍若無人に振る舞う。自分にしかわからない略語をつかって注文し、自分が間違っていることを認めず、勝手にキレる。コンビニで働いてると本当その種類のおじさんおばさんが多い。
が、ショージセンセーはおでんを買うことを躊躇い、その理由が「買い方がわからないから」である。なんと可愛いことか。
まあ、だからといってめんどくさいことには変わりはないのだが。



高校生のめいっぱい世界をひねくれた目で見ていた頃にこの本を初めて読んだ。
目の前に文字で描き出される様々なカフェーは、「いつか行ってみよう」と思えるだけ十分な魅力を持ち、そこで展開される「僕」と「君」のラブストーリーにはどこかロマンチックでありながら説得力があった。絶対に自分には「僕」のような存在は現れない、という確信と、「もしかしたら世界のどこかにこう思ってくれている人がいるのかもしれない」という意味での説得力だ。
様々な喫茶店を舞台に展開する「僕」と「君」のラブストーリーは、世界を爪先立ちで見つめているような危ういバランスで精一杯生きている「君」と、どこかのんびりしながらも諦念を身にまとい恋愛という虚無を食らって生きているかのような「僕」がどの作品にも登場する。その二人は章が変われば変化した別の人格になるのだけれど、どう見ても全く異なる「僕」と「君」ではなく、パラレルワールドの「僕」と「君」である。二人の根底を支えるものは何一つ変わらない。
今回再読して、ロマンチックな文章でありながら、「僕」が揺るぎないナルシシストであるな、と気づいた。「僕」は「君」に愛されることを当然のように望み、「君」は「僕」を惜しみなく賞賛する。うーん、私が一度野ばら文学から離れたのは、こういうところが「成人」した自分に合わなかったからなのかもしれない。
今ではこうして普通に読み返すこともできるが、昔は突然アレルギーになったかのように一切を受け付けられなかった。高校生までは間違いなく楽しんで読んでいたのにである。それが30を超えてこうやって読み返すと、いろいろな角度からもう一度再評価できてそれはそれで楽しい。
今この作品集に登場するカフェーのいくつが現存するのかは知らないけれど、やはり訪れたくなる何かがあるな、と本を閉じた。



喪失と付き合うための物語が7つ収録されている。
春樹はただそこにある、という情景を描くのがうまいが、この短編集では「ただ、なくなった」という話が収まっている。

『レキシントンの幽霊』
小説家の”僕”が主人公で、春樹が実体験したかのように書かれている。当時アメリカに住んでいた”僕”は、ケイシーという男性から「一度会いたい」と手紙をもらう。彼の豊富なジャズ・レコードのコレクションに興味を持ち、その後親交を深める。そんな折ケイシーは仕事の都合で一週間家を離れることになり、留守番を”僕”は任される。

一発目からこの話だったので、もしや『回転木馬の〜』のように実体験をもとにした話ばかりが収録されているのかと思った。実際はそんなことはなく、小説に入り込むのに適した一作だった。

『緑色の獣』
”私”は主婦で、暇な時は庭の椎の木を眺めている。それを眺めていると時間はあっという間にすぎてしまう。しかしある日椎の木を眺めていると、根元から緑色の鼻の長い醜い獣が這い出してくる。その獣は彼女の心の中が読めるのだった。

どう終わらせるのかと思ったらなんとも……人間より怖いものはないな。

『沈黙』
”僕”と大沢さんは仕事の関係で空港のレストランでコーヒーを飲んでいる。大沢さんは人当たりも良く、誰からも好かれるタイプの人間だ。彼はボクシングを若い頃からやっていて、”僕”は興味があり一つ質問をする。「人を殴ったことはあるか?」大沢さんは時計を見ながら、その時のことを語り出した。

悪意というものは本当に恐ろしいものだと思う。人間の感情というものは不思議なもので、自分がやられたら絶対につらくていやだ、というようなことでも他人に対してなら平気で行える。この話は読んでいてつらかった。私もビールが飲みたい気分だ。

『氷男』
”私”はスキー場で氷男に出会う。人見知りで会話は得意ではないけれど、”私”と氷男は会話をし、惹かれあい、やがて結婚に至る。周囲には反対されて、二人だけの満足のいく生活は徐々に退屈なものになる。”私”は気分転換に旅行に行こう、と氷男を誘う。

これはもしかしたらとんでもない皮肉の文章なのかもしれない。”私”は結局のところ氷男の本質を理解した”つもり”で何も理解しておらず、勝手に「私だけひとりぼっちなんてヤダヤダ」と駄々をこねているだけにもみえる。そういう風に読めるように書いたのだとしたら、これは恋人というものに対するアンチテーゼなのかもしれない。

『トニー滝谷』
間違いなく日本人なのに、本名が「滝谷トニー」のため、混血児と間違われたり孤独な人生を歩んできた青年。いつのまにか彼にとって孤独とは至って普通のことであり、切り離せないものになる。そんな彼はイラストレーターとして活躍するようになるが、出版社の女性に一目惚れしてしまい、デートを重ねて結婚を申し込む。

筋だけ書けばちょっとした喜劇にもなりそうなのだが、あくまでこれは「孤独と闘う男」の話なのだと思う。孤独と寄り添い、その存在を受け入れたものの、孤独ではなくなり、さらに影の増した孤独に怯える。軽くホラーでもある。

『七番目の男』
七番目の男は、昔暮らしていたS県であった出来事を話す。彼にはKという弟分のような存在がいて、どこにいくにも一緒だった。Kは絵がうまかった。そんな二人が、台風の日に海岸で運命を分かつ出来事に遭遇してしまう。

最近では東日本大震災などもあり、津波の恐怖は皆の心の根底に存在していると思う。が、私はその時に実際に波も見ていないし、(停電していたためリアルタイムではみれなかった、見なくても良かった)のちに流れたニュースフィルムは恐ろしいだけで流れているのもつらかった。目の前でこのようなことが起きた場合、私は主人公のことを笑えないと思う。

『めくらやなぎと、眠る女』
”僕”といとこは病院に向かっている。いとこは以前事故でぶつかった右の耳が周期的に難聴になるので、病院を変えることになっていた。その診察に付き添って食堂でぼんやりしていると、以前別の病院に女性を見舞いに行ったことがしきりに思い出された。彼女はめくらやなぎが出てくる詩を書いていた。

どういう風に収束する話なんだろう、と思って読んでいたら、こういう風にまとめたか! という感じ。これを書いた頃が80年代らしいので、まだ病院の内部には灰皿があるし、裏手は夾竹桃が生えている。そういう細かな部分で若干の違和感はあるものの、”僕”の気持ちは当時と今とそんなに変わっていないんだろうな、と思う。



田口ランディの人生相談風エッセイ。疑問の提唱の後にその答えがまず簡潔に表され、その後それについての文章が3章程度で続く……という構成になっている。
例えば「神様はいますか?」という疑問に対しては「たぶん、いると思う。」と返し、「死んだらすべて終わりですか?」に対しては「そうです。」と答える。
私は田口のスピリチュアルな部分の文章はあまり好きではないのだけれど、それに対して「すごいなー」とか「こうなったんだからこうだったんだろう」と素直に認めて感心する部分に対しては素晴らしいと思っている。私自身がそれをできないから尚更である。
全編にわたって田口の考える「人間」という存在を突きつけられる本。



ショージくんの丸かじりシリーズ29冊目である。
なんだか今回は1度でまとまらない話が2つもある。「いじけ酒」と「ラーメン屋観察記」である。
「いじけ酒」はショージセンセーが「いじけながら酒を飲むのが趣味」と言い張り、居酒屋で「ちくしょー俺なんか」といじいじと飲むのが楽しいという。そしてその背徳感だけでは物足りなくなったセンセーは、「真昼間から飲む」という背徳感までプラスしようというのだ。
「ラーメン屋観察記」は、ラーメンを注文してから出てくるまでの店主の動きを逐一面白おかしく書き、「自分がラーメン屋に求めるもの」まで発見してしまう。
今回も面白かった。



晴香は教育実習で小学校を訪れていた。その受け持ちクラスの中に、周囲から孤立している男の子を気にかける。大森真人というその男の子は、「自分は呪われている」と周りの人間を突っぱねる。
時を同じくして、後藤&石井の刑事コンビは仕事に忙殺されていた。井手川の代わりにやってきた宮川が、捜査中の事件の犯人のプロファイリングを精神科医に聞きに行ってくれ、と依頼する。癌の末期患者である父親をハンマーで撲殺した戸部賢吾という男性がカウンセリング中逃亡した事件だった。二人は八雲に操作協力を依頼する。
「自分は呪われている」という少年、逃げた殺人犯。接点のなさそうなふたつの事件が「焼死体」の発見によりひとつに結ばれる。

1冊目と比べると、八雲はなんと優しい青年になったものか。もともと優しかったのがあの生意気でひねくれた言動に隠されてしまって、出てこなかっただけなんだろうなあ。
私はこの作品をライトノベルと近い位置においているのだけれど、結構事件の骨格がしっかりしていて読み応えがある。今回はまさにミステリ!という感じだった。



智香は29歳のキャリアウーマン。スタイル抜群十年来の親友・彩野、年上だけれど抜群に美人な沙都子、肉食系ロリータ・結有と4人でシェアハウスをしている。
合コンに繰り出すもののイマイチ本気になれる相手も見つからず、友人たちは次々と自分の幸せを見つけて行く。沙都子に付き合ってお見合いパーティに出て見たりするものの、なんだか自分になじまない。果たして運命の王子様には出会えるのか?

婚活ねえ……私もそろそろ具体的に考えるべきなのだろうか、と思いながら読んだのだ。いやあ、私の持ってる婚活のイメージとは全然違う。合コンぐらいまでだったら婚活の範疇に入るとは思うのだが、普通に恋愛を楽しもうとしているところがもうイメージが違った。欲張りすぎないか? この主人公。その指摘は本文でも人を変え何度もされている。それでも相手が見つかるところは小説だな、という感じ。



川瀬繁、橋本直明、服部要は毎晩ガード下の定食屋「福屋」に集まる。お揃いのジャンパーを着て夜の街に繰り出すのだ。その「福屋」に、もう一週間も通いつめて自分たちと友達になりたいという男がいた。岡田由紀夫。障害者支援施設「のりすの家」から毎晩許可をもらって外出していると言う。そのしつこさにうんざりしている面々は、「友達になりたいならアメ横の放置自転車を全部片付けろ」と難問を突きつける。
そしてしばらくして由紀夫を見かけると、彼は老人と共に一生懸命自転車を整理していた。老人は彼らに缶コーヒーをおごってくれ、「四年前の事件で息子をなくした」と語る。アメ横の乱雑とした、暴力を容認してしまいそうな雰囲気が気になって自転車を整理しているのだという。4人はそれを聞いて、上野の「ガーディアン」になることを決意する。
お揃いのベレー帽、ジャンパー。色は真っ青。繁はアポロ、直明はサモハン、要はヤクショ、そして由紀夫は天才とコードネームをつけ、地道に夜の街を守ることになる。そこには昼と夜の顔が違う女や、ゴミ屋敷に住んでいる老女、果てはヤクザに頼まれごとをしたり窃盗団を捕まえて欲しいと依頼が来たり……。彼らはガーディアンとして上野の街をよくできるのか?

読みながら寝ようと思っていたらうっかり面白すぎて眠れなくなってしまった。一章ずつあらすじと感想を書いても良かったのだが、形式としては短編連作になっているのでまとめて紹介した。
石田は映像向けの作品を書くことがとにかくうまい。IWGPの時も下北サンデーズの時も思ったのだが、人物の描写と街の描写が案外細かく、きちんと脳内で動いてくれるのだ。



市郎は友人の夏宿の家をお盆に尋ねる。家の前では夏宿の弟・弥彦が迎え火を焚いていた。夏宿は市郎を歓迎してくれ、皆で川の字になって眠る。夏宿は以前は丈夫で健康的な少年だったが、この夏は日に当たるのも寒いのもいけない少年に変貌していた。市郎はそんな夏宿にまだ慣れていない。
夜半すぎに庭に弥彦が向かうのを追うと、弥彦は理解できない言葉をしゃべる。「兄さんは死んでいる」。夏宿がいない場所では必ず「兄は死んだ」と言うので、市郎は弥彦にどう接していいかわからない。だって、夏宿はここにいるじゃないか。
戸惑いを覚えながらも池のほとりを見ると、そこには肌をより白くした夏宿が立っていた。

和風ファンタジーとでも言えばいいのか、舞台設定は明治頃らしい。執筆のきっかけは長野の祖父の時代を舞台に書いてみたい、という願望から。なので家の敷地は広く、登場人物は和服を来ている。
非常に短い話なのだが、なぜか今回は読むのに時間がかかってしまった。再読なのでうっすらとは覚えているものの、おそらく何月何日という区切りで話が進んで行くのが合わなかったのだと思う。
内容自体はどこまでも幻想的で『夜啼く鳥は夢を見た』よりは話の進行度合いも高く、きちんと市郎が自分の心に向かい合い、弥彦の発言の意図に気づくところもぞくりとしていい。長野ビギナーにオススメの一冊。
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