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高校生のめいっぱい世界をひねくれた目で見ていた頃にこの本を初めて読んだ。
目の前に文字で描き出される様々なカフェーは、「いつか行ってみよう」と思えるだけ十分な魅力を持ち、そこで展開される「僕」と「君」のラブストーリーにはどこかロマンチックでありながら説得力があった。絶対に自分には「僕」のような存在は現れない、という確信と、「もしかしたら世界のどこかにこう思ってくれている人がいるのかもしれない」という意味での説得力だ。
様々な喫茶店を舞台に展開する「僕」と「君」のラブストーリーは、世界を爪先立ちで見つめているような危ういバランスで精一杯生きている「君」と、どこかのんびりしながらも諦念を身にまとい恋愛という虚無を食らって生きているかのような「僕」がどの作品にも登場する。その二人は章が変われば変化した別の人格になるのだけれど、どう見ても全く異なる「僕」と「君」ではなく、パラレルワールドの「僕」と「君」である。二人の根底を支えるものは何一つ変わらない。
今回再読して、ロマンチックな文章でありながら、「僕」が揺るぎないナルシシストであるな、と気づいた。「僕」は「君」に愛されることを当然のように望み、「君」は「僕」を惜しみなく賞賛する。うーん、私が一度野ばら文学から離れたのは、こういうところが「成人」した自分に合わなかったからなのかもしれない。
今ではこうして普通に読み返すこともできるが、昔は突然アレルギーになったかのように一切を受け付けられなかった。高校生までは間違いなく楽しんで読んでいたのにである。それが30を超えてこうやって読み返すと、いろいろな角度からもう一度再評価できてそれはそれで楽しい。
今この作品集に登場するカフェーのいくつが現存するのかは知らないけれど、やはり訪れたくなる何かがあるな、と本を閉じた。
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