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この物語を悲恋と読む人もいるだろう。悲しい物語だと、切ない物語だと、不条理な物語だと読む人ももちろんいるだろう。
しかし、私は『美丘』を「静かな愛の物語」として読んだ。

タイトルにもなっている美丘は、激しい女性だ。
パンクルックに身を包み、自分に明日はこないかもしれないからその日1日を命をかけて生き抜く。
したくないことはしない。思った通りに行動する。
それが人を傷つけることでも迷惑をかけることでも構わず行う。
それは彼女が”クロイツフェルト=ヤコブ病”という、幼い頃に移植した硬膜から感染した病気に侵されているからだ。
潜伏期間をすぎると、脳がスポンジ状になり、BSE(狂牛病)のように歩行困難から記憶を徐々に失い、日常生活が送れなくなり、治療法も打開策もなくただ死に向かうだけの病気だ。
だから彼女は後悔しないように生きる。
主人公の太一は、そんな彼女のトラブルを二度も救い、破天荒な彼女を自分の所属しているグループに加え、病気のことを知らないまでもその全力の生き方に惹かれていく。
グループで一番美人の麻里と交際を始めるも、麻里とキスをした時に「僕は麻里のことを恋していない」と確信し、美丘が好きだと気づく。
美丘は初めて太一に抱かれた時に、「私が真剣に好きになったのは二人目だ。だからこの話をするけれど、一人目は話を聞いたらやはり自分から離れて行ってしまった。だから、太一くんもそうしていいよ」と言い、病気を打ち明ける。
衝撃を受けるも、太一は美丘の最期の時まで寄り添うことを決心する。
歩行が難しくなった日、病院の診察を受けて美丘は、「あとどれくらい私が私らしく生きられますか」と医者に問う。
患者数があまり多くない病気なので、特効薬も抑制薬もなく、対処療法しかできないことを知っていながらだ。
発症すると数ヶ月から数年で脳が身体機能を停止させる。
それでも問いかける「私が私らしく生きられる期間」。
美丘は病気になっても希望を失うことなく、くるかもわからない明日にむけて懸命に生きる姿勢を変えない。
太一は美丘とフェスのテントでセックスをしながら、美丘が自分らしく生きられなくなったらその手で終わらせてくれ、という約束を誓う。
ラストシーンは静謐で、余分な感情は一切なく、太一は美丘を優しい目で見つめ続ける。

何度もいうが、私は石田衣良の官能的なシーンが苦手だ。
美丘は破天荒な女性なので、もちろん下ネタも言えばセックスも誘う。しかし、この小説ではその内容はでてこない。
抱き合った、というシンプルな言葉のみで情事を書いている。
つまりこれは石田衣良にとっても、官能小説だったり時代に合わせたサービスをした話ではなく、”純愛””燃えるようだけれど静かな温度の愛”を描いた意欲作ということだ。

こんなにつらい話なのに、私は涙腺にはぐっときたが涙を流すことも鼻を鳴らすこともなかった(ちょっとツーンとはきたが)。
石田衣良の小説はだいぶ読んだが、この作品は設定といい人物のキャラクタといい、役割といい、完璧に収まっており、蛇足も助長さもない。
それがまた寂しさを感じさせ、ほとんどの小説は読み終わると満足感が勝るのに、同じ分量の空虚さを残すのだ。
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