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 これは、買いだ。
 久しぶりに野ばらちゃん作品で唸ってしまった。なぜこの本を今の今まで読みのがしていたのか無念でならない。そのぐらい、面白いのである。
 なぜ私がそう思ったかというと、それはおそらく、昔私が野ばらちゃんファンであり、乙女のカリスマと祭り上げられてしまってから離れた少し特殊な、でもどの作家にも絶対いる、そういう層の人間だからだ。この作品には今までの文学文学した堅苦しさや押し付けがましさもなく、ただ淡々と「作家」と「少女」の淡いやりとりが載っているのみである。タイトルもかなり思い切ったものだ。「ロリヰタ。」ときた。ロリータ・ファッションのカリスマ嶽本野ばらがこんなストレートに勝負をしかけてきたのは、一体何故なのだろうか。

 表題作は、精神科医と作家のやりとりから始まる。この作家がスカートを履いていることから、主人公の作家は嶽本野ばら自身を模したものだということが推測できる。人間の外見や中身に興味を持っても、年齢や出身地に興味をもたない、という一節も明らかに野ばらちゃんが自分自身をモチーフにしているとしか考えられない。主人公の職業も野ばらちゃんと同じくもちろん作家。そして乙女のカリスマである。一人称で進んでいく為作家本人の名前は出ないが、「怒ると関西弁になる」「携帯のアドレスは恋人候補にしか教えない」というのも野ばらちゃん本人の模倣である。ここまで揃って来ると作品の後半には、「これは野ばらちゃんの独白なのではないか?」とまで思える徹底した模倣ぶりなのである。
 そのくせ性的なことを隠さず書く。デリヘルを使用したきっかけ、新人グラドルとの性交、最後にはマスターベーションなんて単語まで出てくる。しかしそのどれもが不思議と人間臭くないのだ。これは一体どうしたことなのか。模倣されて出来上がった人格にはあんなにも人間くささが宿っているのに、性的な場面になるとそれは徹底した「性欲のためのもの」という割り切りによって、生臭く描かれなくなっている。
 この作品だけ読んでしまったら、嶽本野ばらはこういう人間なのだ、と誤解を招く描写がそこかしこに点在しており、それで傷つくことも恐れている様には全く見えない。まるで実際にこの出来事があったかのようなリアルさ。そして何より、文章の書き方がかなり変わっている。初期しかしらない私が言うのもなんだが、嶽本野ばらの作品はまず「登場人物は何を着ているか」から作られるので、服の描写がくどい。くどすぎるぐらい徹底的に書く。それが本作にはない。もちろん服の描写、それにまつわるやりとりはあるのだが、初期の押し付けがましさとくどさがなく、乙女のカリスマ作家とモデルの少女という二人のやりとりには必要不可欠なものとして存在している。それがまた妙にリアルなのである。
 一体彼はどうしたのだ? 携帯メールのやり方をよく知らないというのも実体験だろうし、こうなってくると現実と模倣の境目が曖昧になってくる。だからこそ、この本は読者を選ぶ。そしておそらくメインのターゲット層は私の様な、「一度離れたけれどなんとなく気になって手に取ってしまった」元読者たちなのだ。それを示唆する場面は初めの方から出てくるのに、ラストまで気づかなかったことが悔しい。私たちはこの作品によって、嶽本野ばらという人間をもう一度見つめ直す機会を与えられたのだ。思い込みを排除して、一度まっさらな「一読者」に戻る為に。なんと巧みなテクニックであろうか!

 書き下ろし同時収録の「ハネ」も、あえて淡々と書くスタイルを崩しておらず、こちらは初期の野ばらちゃん作品「世界の終わりという名の百貨店」に近いものを感じる。

 一度彼から離れてしまったみなさん、これは一読するべき価値のある本だ。だって彼は、ここからもう一度小説を書くことを再起したのだから。そしてそれは確実にあなたの心をふるわすはずだ。
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