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課題で雑誌を見ながらニュース原稿に直す、というのをやりました。なので時空がねじ曲がっているのは仕様です。What iN!?を参考にさせていただきました。


Diggy-MO’の語る信念、そして
彼からのビッグ・ニュース!



 SOUL’d OUTのメインMC、Diggy-MO’がソロ活動を開始させたのが、昨年の11月。パワフルな楽曲が詰まった1stシングルを「名刺代わり」と言い切ってしまう彼が、3月25日に待望の1stアルバム『Diggyism』をリリースする。ファンクやHIP-HOPはもちろんジャズやニューウェーブの要素が入った楽曲など色とりどりのサウンドに、力強いバイブス、芯を持ったメロが重なる超強力な一枚。アレンジはライブでもおなじみJUNKOOが多くを手掛けている。Shinnosukeとは違った音づくりも本作の魅力のひとつだ。
 SOUL’d OUTでは見られない多彩な音楽のルーツが見えるこのアルバム。そもそもなぜソロ活動を行おうと思ったのか。
「より突き詰めていきたかったということになるんじゃないですかね。単純にパーソナルな音楽っていうことも追求していきたいと思うことが、イチ音楽家として以前からずっとあったので」
 ソロでも活動がグループに反映されるかは、「やり切んないと元も子もない」と一刀両断。先のことは今は何も言えないと言う。そんな率直さも彼の魅力を形成しているといっていいだろう。
 ではライブでは、楽曲とどのように向き合っているのか。
「楽曲が違う感覚とか新しい息を吹き返す時っていうのがライブだったりするんで、そこでまた曲がタフになっていったりだとかね。聴いてる人の中でも自分の中でも、違うものになったり変わらぬものになったり。ライブになると色んなことが変わってくるから、肉体との同化っていうのもありますしね。パフォーマンスで肉体と同化していくっていうのは、頭や感情じゃないんですよ。だから蓋を開けてみるまでは分からないな」
 ストイックに、潔く楽曲と向き合うDiggy-MO’。そんな彼の初となる全国ソロ・ツアーが6月5日、HEAVEN’S ROCK熊谷VJ-1よりスタート。北は札幌、西は博多まで全国を縦横無尽にかけめぐる、全14公演だ。
 自らの信念と覚悟を持って、このソロ活動をスタートさせたDiggy-MO’。「こだわっているところや音楽的なところ、ヒューマニズムだったりの軸のブレっていうのは基本ないですよね」と、自分自身のスタイルを貫く姿勢を、是非ともライブで体感して欲しい。そこには男の生き様が刻まれているはずだ。




 カラーボトルの曲を聴いていたら、こんな言葉を思い出した。
「ある一人の人間のそばにいると、他の人間の存在など全く問題でなくなることがある。それが恋というものである」byツルゲーネフ
この言葉を思い出すたびに、とりあえず恋人と呼ばれている人間と私との関係を考えては悲しくなる。ああ、恋をしているのは私だけなのだなあと。誰が言ったか忘れたが、映画の台詞に「愛は常に前進していなくてはいけない。サメみたいに」というのもあったな。前進どころかちっとも横にすら進んでない気がするのは私だけだろうか。
 なぜこんなに暗くなっているかというと、現在恋人との関係がうまくいっていないからである。もう「恋人」と書くのもはばかられるぐらいにうまくいっていない。これは由々しき事態である。
 原因はさまざまあるが、考え方の違いが大きな相違点だと思う。バイロンが「男にとって愛は生活の一部だが、女にとって愛はその全部である」とうたったように、もう付き合って一年も経つというのにまったく愛されている気がしないのである。やはり男にもその全部で愛して欲しいと願ってしまうのだ。
 例えばバイトひとつ探すにしても、「一緒に居たいから頑張ってね」と言われれば頑張りようもあるが、「今募集してる時期じゃないから下手な鉄砲の気持ちでいかなきゃ続かないよ」なんて言われた日には一日中落ち込んでしまう。バイトか仕事が決まらなければ3月末には帰らねばならないというのに、この言い草はないと思う。しかも先日メールで喧嘩をした際に、「残りすくないから波風を立てないように気を使ってるのがわからないのか」と言われた。いや、それってつまりバイト決まらないことが前提になってるじゃん! なんともずれている男である。
 「一緒に」や「二人で」という言葉を口にしようとすると、呼吸が乱れて話せなくなるとも言われた。どうやら原因は私にあるらしい。彼の言い分をここにまとめてみよう。
 昨年の6月、私が一番大変だった時期に自分はとても頑張った。私の両親に電話をして絶対に病気のことを理解させてやると、「なんとかなるさ」と言った。が、その説得は失敗して、私から嘘つきと言われた。だからもう「一緒に頑張ろう」とは言えない。また嘘つきと言われるのが嫌だ。
 つまり彼のトラウマスイッチになっているらしいのである。いや、そんなことを言われても。嘘をついたのは事実なのだから私には彼を嘘つきという権利があるし、それしきのことでトラウマになっていたら私のトラウマはどうしてくれる、という感じである。
 そんな状態で関係がギスギスしているから、カラーボトルの世界がうらやましい。綺麗事とはわかっていても、私はそれを望んでしまうのである。
 でもカントも「真面目に恋する男は、恋人の前では困惑し、拙劣であり、愛嬌もろくに無いものである」と言っているから、これも愛ゆえにと思うことにして乗り切ろう。


 独特の詩世界観と自身の持つエンターテインメント性で熱狂的ファンを持つオーケンこと大槻ケンヂ。ミュージシャンとしてだけではなく、作家,タレントとしても幅広く活躍する彼の根底に流れるのは、やはり「文学」なのではないだろうか。
 そんな大槻が「大ファン」という作家、江戸川乱歩。彼の文学作品から大槻が受けた影響をここで考察し、彼の世界への入口を探してみたいと思う。果たして行き着く先は夢かうつつか。大槻の心の原風景は、一体どこにあるのだろうか。



 ※1江戸川乱歩の作品に、※2「パノラマ島綺談」という長編小説がある。これは読む者にとって様々に色を変える不思議な小説で、「駄作だ」と評する者もあれば「乱歩の最高傑作だ」と言う者もいる。大槻の詩世界観は、まさにこの小説に通ずるものがある。ある者は大槻が在籍する※3筋肉少女帯を「コミカルなバンドだ」と評し、またある者は深く共感し「これが本当のロックだ」と言う。それはひとえに、大槻ケンヂみずからが「乱歩フリーク」であると公言しているほどに、江戸川乱歩から多大な影響を受けているためだと推測できる。
 小学生の頃に江戸川乱歩の作品に触れた大槻少年は、その後立派な乱歩フリークとなり、※4モラトリアム青年へと成長する。そして※5プロパガンダされる事を忌み嫌い、自分の持つ「脆弱さ」「狂気と正気の境目」を乱歩作品に重ね合わせ、みずからの内面のどろどろとしたなにか、それを表現するために歌詞を書き続けた。
 乱歩の影響がある作品として、まずは筋肉少女帯の1988年発売のメジャー・デビュー・アルバム『仏陀L』に収録されている「孤島の鬼」をあげよう。これは乱歩の同名小説をモチーフとし、どこまでも続く狂気と怠惰の世界にふける“君”を“僕”が傍観していようという歌詞である。それを、孤島の鬼がから笑う。聴いていると、この歌詞、“僕”と“君”は同一人物なのではないかという疑問がもちあがる。“僕”とは傍観者としての自分、つまり第二の人格、内面の自分なのではないだろうか。乱歩の※6「孤島の鬼」も、鬼の正体は人間であった。それを大槻の歌詞は、みずからの中にいる傍観者としての自分を成立させることによって実にうまく表現している。
 同じく『仏陀L』に収録されている「サンフランシスコ」では“空気女と小人を連れて 街にサーカスが来る前に”という歌詞が出てくる。“空気女”とは乱歩の※7「ぺてん師と空気男」の“空気男”をもじったものか、※8寺山修司が監督した映画『田園に死す』に由来する言葉だと思われる。寺山もまた、乱歩に魅了された一人であった。そして“サーカス”“小人”も乱歩の小説にはよく登場するモチーフである。この楽曲には“ノウズイはものを思うに ものを思うにはあらず”という歌詞も出てくる。こちらからは※9夢野久作の代表作※10『ドグラ・マグラ』からの影響もうかがうことができる。乱歩、寺山、夢野の狂気のエッセンスを取り入れつつも、それを切ないラブ・ソングにしたてた良曲である。
 次に1989年に発売された3枚目のアルバム『猫のテブクロ』収録の、「月とテブクロ」という楽曲があげられる。これは江戸川乱歩の※11「月と手袋」からタイトルを拝借して、ライブでは大槻が白い手袋をはめ歌う楽曲である。ただしこの楽曲は、「月と手袋」とは違いミステリー調ではない。『猫のテブクロ』自体がコンセプト・アルバムであり、登場する猫の名前がテブクロだからこのタイトルをつけたのだと考えられる。(余談だが、テブクロという名前の猫は大槻のエッセイに一度登場している。その頃親しくしていた女の子が飼っていた猫の名前らしい)
 続いて1990年リリースの4枚目のアルバム『サーカス団パノラマ島へ帰る』をあげたいと思う。“サーカス”、“パノラマ島”と、タイトルだけで乱歩の影響がうかがえる。ズバリ「パノラマ島へ帰る」という楽曲も収録されており、この曲は人生に疲れた唄うたいが、現実から逃れる為に“港につながれたサーカス団の あの船に乗って流れていこう”とする曲だ。そのまま歌詞は“パノラマ島へ帰ろう”と続く。つまり回帰する場所は“パノラマ島”という幻想の島であり、存在しない場所なのである。だが、それが大槻の※12原風景になっていることは間違いない。なにしろこのアルバムは製作期間が短く、インタビューで「そんなに思い入れがない」と答えている。しかし、そんなギリギリで作り上げたもののタイトルに“パノラマ島”と入っているのだから、それは大槻の心の底から飛び出てきたものに違いないだろう。また、同アルバムに収録されている「また会えたらいいね」では“空気男”が登場する。これは乱歩の「ぺてん師と空気男」から引用した言葉だろう。この楽曲は現実に向き合わなくてはならないと自戒する一方で、“また会えたらいいね”と、幻想へ思いを馳せている。別れの寂しさを“また会えたらいいね”と繰り返すことによって、大槻独自の幻想的な世界観に昇華している。
 次は1993年リリースのシングル・ベスト・アルバム『筋少の大水銀』に収録されている「ゴーゴー蟲娘」という曲。“ねぇ!あの娘の世界は鏡地獄 どちらを見たってイヤな自分”という歌詞は、鏡狂いの男が全面鏡張りの球体を作り、その中でこの世のものではないものを見たという、乱歩の※13「鏡地獄」からとられているのではないだろうか。どちらを見ても自分が映るという恐怖を、“鏡地獄”という単語で見事に一言で表現している。さらに“あの娘は自分が蟲だと気付いた日に D坂にしゃがんで土下座をしたという ごめんね私蟲だから 愛されないのきっと”の部分で登場する“D坂”は※14「D坂の殺人事件」という小説からとられたものだろうし、“しゃがんで土下座をした”というのは、乱歩の※15「虫」にて登場する名シーンからのインスパイアだと思われる。タイトルもおそらく「虫」と“蟲”をかけているのであろう。
 もうひとつ忘れてはいけない楽曲が1992年に発売された7枚目のアルバム、『エリーゼのために』収録の「世界の果て~江戸川乱歩に~」である。タイトルから解るようにこの曲は江戸川乱歩に捧げたものであり、歌詞の内容も大槻の願望を表しているようなものとなっている。いや、乱歩フリークなら一度は思うであろうことが歌詞になっているのだ。※16“ところは浅草 ロック座あたり”という一節も、乱歩ファンとしてはぴったりではないか。“この世の全てに飽き果てて 狂いの世界に憧れて 狂気と自分を結ぶのは 犯罪だけだと考えた”というのも、乱歩に魅了された人間ならば共感できる表現である。なぜなら乱歩の作品にはそういった男たちが出てくる作品がたくさんあるからだ。この曲の歌詞では、良識と狂気という内面の葛藤を“(アウト!セーフ!)行こか戻ろか”というかけ声で表現している。狂いの世界に憧れて犯罪を犯すのがアウトであるのならば、自分はまだ引き返せる。しかしその世界には強く惹かれてしまう。そんな誰もが一度は抱いたことのある葛藤をポップな曲調にのせ、たったの一行で表現したことには驚嘆するばかりである。つまり大槻ケンヂその人は、極度の乱歩フリークでありながら葛藤の人でもあったのだ。
 さて、「孤島の鬼」と「世界の果て~江戸川乱歩に~」で述べた内面の自分とのせめぎ合いというものは、大槻の歌詞にはよく登場する。
 まず、1993年リリースの8枚目のアルバム『UFOと恋人』収録の、「パレードの日、影男を秘かに消せ!」という楽曲。これはリスナーの間では「世界の果て~江戸川乱歩に~」と対になる楽曲といわれている。この中に登場する“拝啓、親愛なる江戸川乱歩様 あなたの物語の中で、退屈なパレードを憎みながらも 実は憧れた影男達は 犯罪という※17猟奇の果てに死んでいきました 彼らほどに勇気のない僕は 退屈なパレードの一員になろうと思っています あなたはボクを軽蔑しますか? それでも パレードの日、影男を秘かに消せ!”という手紙形式のくだりは、影男が「第二の自分」とも言うべき存在なのだということを暗喩している。ここまでは「世界の果て~江戸川乱歩に~」と同じテイストだが、曲の終わりでは自分の中の影男と決別しようと葛藤する姿を描いている。ここでひとつの分岐点を作ることにより、大槻みずからの葛藤とも決別しようとしているようにみえる。
 そして1994年に発売された9枚目のアルバム『レティクル座妄想』に収録されている、「蜘蛛の糸」という楽曲。この曲は思春期特有の「自分は誰とも違う存在価値のある、周りのくだらない人間とは違う特別な存在なのだ」という考えと“友達はいないから ノートに猫の絵を描く”という青春の矛盾を描いた歌だ。主人公の中には「周りの人間はくだらない」という特別意識と、「周りの人間に笑われている」という被害妄想がせめぎあっている。主人公自身の“大丈夫だよねぇ”という懐疑心と、“気のせいさ 眠れよ”という内面の自分が放つ慰めが掛け合いの歌詞で顕著に表されている。
 乱歩にインスパイアされて大槻が生み出した作品は、小説にも存在する。
 前述の「パレードの日、影男を秘かに消せ!」と「蜘蛛の糸」を結んで執筆されたと思われる作品が、大槻著作の「春陽綺談」という小説だ。この小説は既に絶版となっている単行本※18『くるぐる使い』に収録されたもので、江戸川乱歩が大好きな少年“新井春陽”が主人公となっており、江戸川乱歩の作品「パノラマ島奇談」をモチーフとして物語は進行していく。もうこれだけで、春陽少年は大槻の少年時代の一部を描いていると言っても過言ではない。大槻もまた「パノラマ島奇談」に魅了された人物の一人であり、春陽少年の“読む度に印象を変える不思議な小説だ”という小説の中の感想は大槻本人の評価であろう。そして春陽少年にも友だちはおらず、彼は「蜘蛛の糸」よろしく猫の絵を描くのではなく、鉛筆の芯をまるで千枚通しのように鋭く尖らせることが日課であった。また、この小説ではパレードの行進練習の際に、春陽少年のポケットには日常を打破するための武器、キリのように尖った鉛筆が常に入っているのである。
 行進練習の最中に、春陽は頭の中に直接、“人見広介”と名乗る人物から声をかけられる。人見広介とは乱歩の小説「パノラマ島奇談」の主人公である。ここで登場する人見広介は、春陽の「夢」の世界の代弁者、案内人として現れる。そして「つまらない現世を捨てて夢の世界へ住まないか」と誘いをかけるのである。この人見広介、実は春陽の内面の自分なのである。そして春陽は信条としている※19「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」という言葉と決別し、つまらない現実をとるか、夢のような妄想の世界に生きるか選択を迫られることとなる。江戸川乱歩の小説に登場する男たちや、「パレードの日、影男を秘かに消せ!」と同様に……。退屈なパレードの行進練習をしながら春陽はポケットの鋭く尖らせた鉛筆を握りしめる。果たしてその先にあるものは迎合か、決別か。
 ※20明智小五郎と※21金田一耕助を合わせたような登場人物、滝田六助(大槻が小学生の頃初めて書いたという、自称“超常現象ゴロ”の探偵)が出てくるのもポイントだ。乱歩は※22探偵小説の雄として知られていた。その作品が大槻少年の空想を膨らますとともに、大槻の初めて創作した探偵キャラクターにも影響していたのではないだろうか。
 そしてその滝田六助が、春陽少年の救いの手になろうとする部分も興味深い。春陽少年の前に現れた夢の世界が一体何だったのかを解明するのと同時に、少年の光明の一筋になろうとする。これは大槻自身の「こういう人間が現れてくれていたら」という願望ではないだろうか。滝田六助のような人間さえいれば、「蜘蛛の糸」の少年のように被害妄想に取り付かれなくてもすむという、大槻自身の希望だったのではないかと思えてしまうのである。
 作家としての大槻ケンヂは、単行本※23『ロコ!思うままに』の中で、乱歩作品に対する斬新な解釈を発表している。それが「怪人明智文代」という小説だ。是非一読していただきたいので内容に深くふれることはしないが、あらすじとしてはこういった話だ。
 言わずと知れた江戸川乱歩の生み出した名探偵、明智小五郎。その妻である文代が、※24小林少年も一緒に暮らしている家庭の中でみずからの居場所を見失ってしまい、※25怪人二十面相率いる悪の組織に強く惹かれるようになる。そしてそこに至るまでの心理、心のよろめきが、文代から江戸川乱歩に宛てた手紙という形式で告白される。
 この小説には大槻の思い切った着想と、執念ともいうべき「深読み」があり、切なくもコミカルな味わいがある。タイトルのおどろおどろしさに比べ、読み味が爽やかなことも特徴である。
 大槻は作家としての活動歴も長く、二度SFで※26星雲賞という、「最も名誉あり権威のない賞」と呼ばれる賞を受賞しており、筆力はかなり高い。自らを「乱歩フリーク」と称しているだけに、「怪人明智文代」は読者としての大槻が、乱歩と同じ「作家」という位置に立った時に何が書けるか、と挑戦した意欲作として捉えられる。
 乱歩と大槻をつなぐのは、「作家と読者」という関係性だけではない。実は“UFO”というウソのような一点に、両者の興味は向いていたのだ。
 大槻のUFO好きは有名で、江戸川乱歩の生誕百周年を記念して乱歩の全集を買ったのに、ついついUFOにハマってしまい、乱歩を放っておいてアルバム・タイトルに『UFOと恋人』なんてつけてしまうくらい一時期はUFOにのめり込んでいた。ノイローゼで病院に通っていたときには「医者からUFOを止められた」なんて冗談のような逸話が残っているほどである。
 一方乱歩はUFOの存在自体に懐疑的であったものの、※27少年探偵団シリーズでは作中にUFOを登場させるなど、「未確認飛行物体が存在している」という点に関しては現象を受け入れていたようだ。また乱歩には、※28三島由紀夫らとUFOをはじめとする超常現象、心霊に関する※29座談会を開き、そこでコックリさんなども行なったという話が残っている。
 両者スタンスは違えど、UFOに関する興味は一緒。そこで乱歩は「怪人二十面相がハトの足に銀の円盤をくくりつけて飛ばしていた」という極めて現実的(?)な解釈を作中で発表したのに対し、大槻は「UFOプロレス説」という画期的な説を唱えはじめた。「UFOは“ある”か“ない”かではなく、プロレスのようにそれ自体を楽しむものである」という説である。プロレスは八百長があるかないかでもめていては純粋に楽しめない。UFOもそれにならって、存在するかしないかではなく、その現象を楽しむべきだ、という論である。乱歩のUFOに対するスタンスとは違っているが、納得できなくもないことが不思議である。
 UFO、心霊に懐疑的な乱歩。その影響を受けていながらも、「全部まとめて楽しんじゃえば良いじゃない!」というスタンスの大槻。両者は本当は似た者同士なのかもしれない。なんていったって乱歩の「UFOは誰かが飛ばした銀の円盤」論には無理があり過ぎるし、もしそれが真実だとしたら、世界には怪人二十面相が何人も存在してしまうことになるのだから。実は乱歩はUFOに懐疑的でありながらも、その存在を楽しんでいたのではないだろうか。
 今、大槻は作家としての活動も忙しいことながら、筋肉少女帯の活動でも多忙を極めている。今後も乱歩をはじめとした文学、映画に影響された作品がたくさん登場するのか、それともそれらの作品への※30オマージュとは“決別”し、彼の原風景であるパノラマ島から出ていき新天地を探し求めるのか。大槻ケンヂの“まこと”は一体どこにあるのかが、今後の彼を形作ることとなるだろう。どちらにしろ、それはきっと私たちにまだ見たことのない世界を映し出してくれるに違いない。



大槻ケンヂプロフィール
筋肉少女帯のボーカリストでありながら、ソロ活動やユニットでの活動、トーク・ライブ、執筆活動にタレントもこなすマルチ・アーティスト。東京都中野区野方出身。血液型はB型。様々なサブ・カルチャーに精通しており、UFOに関してはみずからマニアと称するほど。


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 ラーメンズの小林賢太郎が大好きである。彼にはいつも驚かされる。
 まずコント。どこからこんなアイデアが出てくるのか!? という設定、展開、そして驚愕のラスト。お客さんが考えなければならないコントを主体に行なっており、特に私は「無類人間」というコントが大好きで、ビデオに撮って何度も見返していたぐらいである。設定は全ての類、哺乳類、人類などを落としてしまった無類人間に、もう一人の類を持っている人間が類を無類人間に与えていくというもの。途中までは比較的わかりやすく実際に存在する類をつけていくのだが、全ての類を分け与えてしまったあとに今度は類を与えたほうが無類人間となってしまって、そこらに転がっている適当な類をくっつけていく。エリートビジネスサラリーマン類など、それがあまりに面白い類ばかりで、ネコ類と青森出身類が同時にくっついた時など形態模写でとても笑わせてくれた。そして最後コントが終わったときに、私たちふと考えさせられるのである。「全ての人類が類で分けられたら、私はいったい何類になってしまうのか?」と。
 そして第二に、私にとっての素敵メガネ男子だということがあげられる。彼女の留学という障害をこえて七夕に入籍、理工学系の黒縁メガネに服装はちょっとダサめ、そして手が美しい。もうパーフェクト! 私の理想はここにいたのか! という感じである。その美しい手で織り成されるマジックやギミックの数々に、ついつい時を忘れて見入ってしまう。メガネを外したときのギャップも良い。天は二物を与えたのだ。
 数々のコント、演劇で見られる才能に、素敵なルックス。とにかく私は、彼が好きなのだなあとこの原稿を書きながらも思い知らされるのである。


だっさいタイトルですけど! けど!
これが課題のタイトルだったんだから仕方がないじゃん!

という訳で以下がそれです。

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 メトロノーム初のPV集。収録曲は「プラネット」「セルフコントロール」「3つ数えろ」「ス・ペ・エ・ス・ロマンチック!」の4曲。テクノポップ調の打ち込みにバンド・サウンドがのり、やや後ろ向きな歌詞と相まって独自の世界観を示している。ひとつひとつのPVに対してのメンバーのコメントも見どころだ。彼らの素顔や、リハーサル、LIVEの風景などもちらりと覗けてしまう嬉しい、そしてお得な一枚となっている。



2008.07.25 ROCK IN JAPAN
今年のROCK IN JAPANはどの世代にもピッタリだぞ!


 8月のドあたま1日〜3日と茨城県の国営ひたち海浜公園で3日連続で行われるROCK IN JAPAN FES。今年は主催者の頭がおかしくなっちゃったんじゃないか!? ってぐらい豪華なアーティストをそろえてきた。
 まず1日目。若い女の子なら誰もが知っている木村カエラやYUIなどの女性シンガーの他に、今バンド・シーンの注目株であるFoZZtoneやガレージ・ロックを浪花節に乗せて歌うザ・50回転ズなどをかぶせてきた。さらに、ロック・ファンなら知ってしかるべきスピッツとAIRも出演。初日からぶっ飛ばしてるメンツである。これで3日間もつのか!? と問いたいところだが、これがしっかりもつどころか、むしろどんどん暴走したメンツになっていってしまうのである。
 2日目の見どころは、なんといっても日本のパンク・シーンに多大な影響を与えた頭脳警察の出演。もちろんPerfumeやチャットモンチー、PUFFYが出演することも忘れてはならない。そしてなによりACIDMANやマキシマム ザ ホルモンなども出演する。ROCK IN JAPANでしか実現できなかった組み合わせも見どころである。
 最終日3日もすごすぎる! 奥田民生やELLE GARDEN、KREVA、鬼束ちひろなどの超メジャー・アーティストに、RIZE、髭(HiGE)、HAWAIIAN6など夏フェスにはかかせないアーティストまで豪華絢爛目白押しだ。
 どの日に参加しても自分にピッタリくるアーティストが必ずみつかるはず。3日通して参加すればさらにそれは明確になるだろう。さぁ、これを読んだならROCK IN JAPAN FESのHPをチェックして、君のお気に入りのアーティストを探しに行こうじゃないか!! きっとそこには、予期せぬ素敵な出会いが君を待っているはずだから。
学校で書いた「雑誌の記事を組み立て直す」作業のひとつです。

J渾身の一作、音の波に振り落とされないよう、しっかりしがみつけ!


荒々しい、といっても過言ではないほどアグレッシブなJの7thアルバム『RIDE』が、4月23日発売となる。Jは、一時代を築き12月には7年ぶりに東京ドームで一夜限りの復活公演を成功させたロック・バンド、LUNA SEAのベーシストとしてもお馴染み。1997年、1stアルバム『PYROMANIA』でソロ・デビュー。2003年にはソロ活動初の武道館ライヴを成功させ、その後もライヴを中心とした活動を続け、日本人離れした洋楽的な、骨太のロック・サウンドを奏でている。そんなJの本作は、とにかくロック! この一言にしか当てはまらない。ゴリゴリに押してくるハードなサウンドに、胸の熱くなるようなJの歌声がのり、メーターを振り切りそうな熱さで、じりじりと胸に焼きつきそうなサウンドが細くから脳へと伝わって来る。音に乗る(RIDE)のではなく、しがみつかなければ振り落とされてしまいそうなめまぐるしさとスピード感。春先にこんなアルバムを聴いたら、心の中はすでに夏になってしまうほどの熱度を持った一枚だ。アルバム発売と同時にツアーもスタートし、5/6には日比谷野外音楽堂でファイナルを迎える。この轟音に乗ってその先を知るためには、まさしく必聴と言える一枚である。



 私は漫画を読むだけではなく、描くことも好きだ。それは趣味の領域を出ないのだけれど、まず好きな理由のひとつとしてその世界を構築していく、神のような気分になれるという自己満足がある。そして脳内のイメージを確かに伝えることができるという喜びがある。それは視覚で訴えることができる、という点で小説よりも強い。
 そしてよっつめは、空間をコマ割りしていくことによって、映画のように連続してシーンを伝えることができることだ。そのコマとコマとの間に、自分以外の人間の独自の解釈が入ったりしてそれもまた面白い。細かく描き込んだところや、わざとラフに描いたところもそれぞれ解釈してもらえて、とても楽しい。
 紙という二次元の上に、三次元を表現することができるというのも大きなポイントだ。実際にはあり得ない風景などを描き込んでいくことができる。そして、絵と台詞両方で人にイメージを伝えることは、お互いにブレが少なく面白い手法だと思う。
 読み手としても漫画はヴィジュアル・イメージとして入ってきやすい。そしてなにより、小説やイラスト・ブックよりも読んでいて疲れない。それはやはり絵と台詞両方で伝わってくるからだと思う。さらに自分のスピードで読んでいけるため、描き込みや空間の使い方に対して独自の解釈ができる。
 もともと読み手だった人間が漫画を描くのは、やはり漫画からなんらかのインスピレーションを受けたからだと思う。少なくとも私はそうだ。漫画という手法に憧れて描き始めた。そして私の漫画もいつか、そういった誰かにインスピレーションを与えることができるものまで昇華したいと思うのだ。
 これが、私が漫画を好きな理由である。
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