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大槻ケンヂは、性の嗜好がロリコンでSM好きだと、いままでのエッセイなどを見ればわかる。
それを濃縮させて爆発させたような作品群である。

或る日突然、14、15、16、17歳の娘が「ステーシー」と呼ばれる”ゾンビ”になり、ふらふらと歩き回り人を咬み殺す。ステーシーになる前には”ニアデス・ハピネス”という多幸感に包まれた笑みを常に浮かべることになる少女たちは、死んでいく自分を哀れに思い、好きな人に”再殺をする権利”を譲渡する。ーーまあ、それはロメロ再殺部隊によって基本的には再殺されるためあまり意味はないのだがーーその権利を、気まぐれで受け取った渋川は、エイコという少女の再殺を行うことになる。再殺を完璧に行うためには165以上の肉片にバラさなければならない。

性癖のもつ煮込みみたいな本なのである。
少女、ゾンビ、ギャグボール、殺すという加虐、ゲイセックス、首締め、謝罪、奇形児と中也の詩。

こんなもん読んだら10代だった私はそりゃオーケン最高! 結婚したい! とか言い出しますよ(やめとけ例え付き合えたとしても古くなったら捨てられるぞ)。

そして『ステーシー』(角川ホラー文庫)に収録されていない二編についても。

『ステーシー異聞 ゾンビ・リバー』
再殺部隊を気取った少年愚連隊が、大勢のステーシーたちに飲み込まれていく加虐と被虐、そしてチャチャチャというコミカルさを取り入れた作品。
あまりにもそれが”日常”すぎて、世界がいろんな麻痺を起こしているのがよく分かる。

『ステーシー異聞 再殺部隊隊長の回想』
オーケンらしくて素晴らしい。再殺の権利を与えられた少年が、肉片と化した恋人をなんとかロメロ再殺部隊以外の力で自ら再殺しようと懸命になる話である。「ゴシックロリータ幻想劇場」に書かれていたというのが頷ける。
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オーケンが「ゴスロリバイブル」に連載していた作品をまとめたもの。

「巻頭歌ーエリザベス・カラーの散文詩」
序章に相応しく、幻想的で詩的な世界。結末もきちんとオーケンが今まで好きだったものをもってきていて好感が持てる。

「ゴンスケ綿状生命体」
エンジェル・ヘアーという80年代に一斉を風靡した怪奇現象をモチーフに、宇宙人と女の子の愛を描く作品(って書くとなんじゃこりゃ)。
ぬいぐるみが夜寝ている間に動く、という女の子なら一度は考えるファンタジーをそのまま文章にしたかのような話。
かなり好きな部類である。

「妖精対弓道部」
この本の中でもかなり突飛な類であるけれど、このモチーフで曲まで作っているんだからお気に入りなのだろう。
トン子の最後の叫びは、マイノリティのセクシャルを持つ人間の「認めて欲しい」という欲求のようで切ない。

「メリー・クリスマス薔薇香」
かなり正統派のゴスロリを扱った作品。
ロリータの娘を持つ母親が突然自らもゴスロリを着て、原宿を闊歩する。その理由とは…という、なんとも言い難いあったかい気持ちになれる話であった。

「夢だけが人生のすべて」
オーケンの話に度々出てくる、目の見えなくなった画家と小説家をモチーフにした話。三角関係を絡めて恋愛小説というか青春小説というか、とにかく良い味に仕上げている。

「戦国バレンタインデー」
私この話好きなんですよ。舞台説明もしっかりしないまま突然タイムスリップするところも面白おかしいが、なによりラストの数行が素晴らしい。女の子の友情って本当一瞬で出来上がるものなんだよなあ。崩れるのも一瞬なんだけどな。

「東京ドズニーランド」
多分アンダーグラウンドサーチライで作った「埼玉ゴズニーランド」をモチーフにしたもの。ゆるキャラの一斉蜂起っていうのもまたナンセンスだけれどラストがとてもいい。

「爆殺少女人形舞壱号」
これもモチーフで曲を作ってますね。こういう背景だと曲を聞いた時には思わなかったんだけれど(もっと政府の要人のパーティとかで使う人形なのかと思ってた)老人が最後主人公のおじいちゃんにダブるところなんて哀しくてねえ…。

「ギター泥棒」
これは完全に音楽かじってないとオチがわかりにくい話ですね。トラメってあだ名の段階でわかる人にはわかるんだろうなあ。恋人の死はヒロイズムに浸るのに最適だけれど、実際起きてしまうとそれは悲しみ以外の何者でもないんだなあ。

「ユーシューカンの桜子さん」
なんとびっくり、初期小説「くるぐる使い」収録作品「春陽奇談」に出てくる”滝田六助”が再登場っすよ。私は大興奮しましたね、初読の時は。でもって騒動の発端が特攻兵の花嫁人形ってところも渋い。

「奥多摩学園心霊事件」
トリックといいラストといい、オカルトやホラーが好きな人間からすれば「やっぱりな!最高だ!」となる持って生き方。これも滝田六助が出てきます。この一つ前に収録されている作品の桜子ちゃんも助手で登場。これシリーズ化してくんないかなあ。

「英国心霊主義とリリアンの聖衣」
コナン・ドイルを持ってくるところが「わかってるな!」という感じ。実際こんな事件はなかったんでしょうが、当時のイギリスは心霊ブーム真っ只中だからいろんな霊媒がいたのでしょうな。ラストシーンが映画のように脳内に浮かぶ名作。

「ゴズロリ専門風俗店の七曲町子」
これも確か「ロッキン・ホース。バレリーナ」の登場人物ですよね。しかしゴスロリを脱がせてしまったらそれはゴスロリ専門風俗としてありなのか???むしろ着衣した状態でプレイしたいのが客層なんじゃないのか???という謎が。

「おっかけ屋さん」
非常に心があたたまる作品なんだが、これおっかけの経験がないとピンとこないかもしんないですね。おっかけをしている間っていうのはなんだか心理状態が不安定なんだよね…地に足がついてないんだよ。だから主人公の選択は普通のおっかけだったらしないんだよなあ。でも小説なのでありです。

「新宿御苑」
しっかしオーケンがボサ・ノヴァをモチーフに話をひとつ書くとは。というかこれ、読者層にあってたのかなー?私はとっても好きなんですが(十代の挫折を大したものと書いてないところとか)大人の方が読んでいて勇気が出るかもしれないですね。

「ボクがもらわれた日」
いやあ、ロコって犬の名前だったのか。って曲はさすがに違うよな…(「ロコ!思うままに」という曲が特撮にあるのです)。ご主人様も一途で健気な人なんだろうけど、それを察知して先回りできるロコってめちゃくちゃ頭いいよな…と。

「二度寝姫とモカ」
私、おじいちゃんおばあちゃんものに弱いんですよ。動物ものにも弱いんですよ。それがもうぎゅっと詰まっててですね…こういうのを世間では感動ポルノって言っちゃうんだろうなーとも思うんですが、やっぱり素敵な話は素敵なままとっておきたいですよね。

「サラセニア・レウコフィラ」
なんと今度はトリフィドの日だ。オーケンはSFが好きだなあ。巨大植物がぱっくぱくと少女たちを飲み込むシーンの描写、これ完全にオーケンの性癖でしょ。でもって生き残るのが根暗でオタク、ってのがまた筋少の「トリフィドの日がきても二人だけは生き抜く」じゃないですか。

「月光の道化師」
これ多分、江戸川乱歩の完全なオマージュとして書きたかったんだと思うんすよ。つまり、明智小十郎じゃなくて明智小五郎として、小林森少年じゃなくて小林少年として書きたかったんじゃないかな。「怪人明智文代」を書いた時と同じようにしたかったんだろうなーと…。

「ぼくらのロマン飛行」
収録されてる作品の中で一番童話的なものを最後に持ってきているのが、散文詩を最初に持ってきているのと対比がとれてていいですね。サーカスの人間ロケットをやっている少女の話。



3度目ぐらいの再読である。
一度目は「なんかオーケンお金のことばっかりいうようになっちゃったなー」と思いながら読んだ。
今回は「なんかオーケンこの時本当は迷ってたんだろうなー」と思ったのだ。

エッセイの中で何度も「歌と物書きに仕事を絞って、あとはお好みでやっている」といったニュアンスの言葉が出てくる。
ライブでお客さんが少なくても歌えればいい、みたいな話も出てくる。
筋少の話にはほとんど触れずに、特撮の(まー当時やってたバンドだからしかたないけど)話がめちゃくちゃ多い。
自分は行雲流水で生きていきたいという気持ちでノンポリを貫く。
女性の話も少々、本の、もしくはバンドの内容も少々、読者のことも少々、好きなものについては結構。
なんだか「あー、変わったんだな」と思うのだ。

人間が変わらない人っていうのも確かにいる。
でもオーケンはサービス精神が溢れすぎていて、ちょっとこの時期疲れていたんじゃないかなと考えてしまう。
いろんな人からの反応を気にして、「俺はそんなもん気にしねーぜ!!」って虚勢をはっているというか。
それが危惧ならいいのだけれど、なんとなく「うーん、悩んでたのかなあ」と端々から感じるのだ。
特にラスト付近のチェッカーズの解散騒動をバンドとかぶせる話は、読んでいてなんとなくですが「何か」を察知してしまうものがあった。蜜月を知っているからこそ終わりがつらい。神輿を担ぐと決めたならその段階で平等ではない。うーん、重い言葉である。



オーケンが40手前で考えたことのまとめのような一冊。
すべての出来事をコラムのネタにしちゃえ、という発想やキャンプ精神で映画や小説やトンデモ本を面白がったり、はたまた特撮のCD宣伝に余念がなかったり、「あーこの頃はこうだったのね」としみじみしながらニコニコできる一冊。
らもさん追悼ライブの話やムッシュかまやつが最近のバンドもチェックしてるなんて話もあり、非常に楽しい。
そしてこの間実写版「デビルマン」を初めて見たので「あーオーケンもワースト映画にあげてら、あはは」と笑ってしまう。しかしシベ超とデビルマン出演依頼ってすごい組み合わせである。



最初と最後はさくさくと読めるエッセイ、真ん中は懐かしのテレビ番組についてのエッセイだ。

いや、読み返したがこれはやられた。
第一パートのラストの話が最高に「イイ」んである。

若き頃の悩みなどを多数収録しているが、この「オレってダメだな〜、と思ってるすべてのボンクラ野郎に捧ぐ」の章。最初こそオーケンの若き日の悩みや恥ずかしい話を書いている。ニコニコで読める。
が、最後の「20歳の不平等」という一編がすごい。
オーケンはほてほてと仕事帰りに喫茶店に立ち寄る。そこにはノートが置いてあり、みな悩みや日記などを書いている。
そこに、ある青年の悩みを見る。
青年は映画制作の現場にいて、「今日もカチンコが遅いと怒られた」「小道具のオヤジにいじめられた」などと鬱屈した毎日を綴っている。
その愚痴に、オーケンは在り来たりな「じゃあやめろよ、そんな根性じゃどこでも通用しねーよ」とは言わない。
「この青年は自己肯定を求めているのだ」と気づくのだ。
自分が関わった映画を、「見たよ」と一言声をかけてもらう世界を望んでいるのだと。
ラストの一文はそのまま引用しよう。

僕が観るよ。ノートに書いてある題名を今から「ぴあ」で調べるよ。Vシネなら近所のレンタルビデオで借りる。
努力は報われないことの方が圧倒的に多くこの世は不平等にできている。でも、捨てバチにだけはなっちゃダメだと思うが、どうだい?


いやあ、感動しましたね。




オーケンが90年代に起きたいろんな出来事を元に書いたサクサクと読める本。
馬場の死去とか大きな出来事の他に、コギャルに女装してみたり好き勝手にやってます。
後半は眠くなる映画をランキングで発表したり本当なんでもあり。

90年代といえば私にとってまだ小学生とか中学生の時期で、当時はオーケンなんてタレントの一人としか思ってなかったのであった。しかしTVタックルの超常現象スペシャルをみてショックをうけ、「この人は何者なんだ!?!?」と心にオーケンの存在を刻んだまま生きていくことになる。
でもって高校入試の時期に「レティクル座妄想」なんて聴いちゃったからどっぷりと傾倒してしまった。
バンギャがいきなりサブカルを食い始めたんである。
そこまでが90年代の話。
その後無事に高校に進学して、図書室の主みたいになるんですがオーケンの日記を先輩の誰かが図書室にいれてて読んでしまってまたどっぷり。買っている雑誌では00年代に入ってオーケンが対談のコーナーを始め、そりゃあウキウキでしたよ。
ちなみに心に残ってるのは某V系バンドマン(若い)に「プロレスと特撮とAVの話しなかったら若い子はなんの話してるの???」って聞いてたことですかね…。




この表紙を見て欲しい。おそらく小学生時代のオーケンなのだが、いやあ、可愛らしいですね。
ほっぺたに厚めの唇がなんとも福々しい。

オーケン自身が書いたことを忘れていたようなエッセイ何かが収録されている一冊。
ヨヨチュー監督との対談がとにかく面白いので、ここだけでも読んでいただきたい。セックスに関する思い込みがぼろぼろとはがれてきて目から鱗が落ちまくりだ。

個人的には映画「尼僧ヨアンナ」についての文章も好きだ。うーん、なんとも観たくなってしまう文章である。
大方のあらすじを言ってしまっているものの、それを「みたい!!」と思わせるのって結構難しいと思うのだ。

さくさく読んでニコニコになろう。




「人間革命」とはなんとも大仰なテーマを掲げたものである。
だがそこに、オーケンの「行雲流水(のほほん)」な見方が追加されると、これがまた最高に面白い一冊になってしまうのだ。
合法ドラッグ、下着パブ、タンキング、盗聴傍受、町の占いを体験。UFOに遭った! というコンタクティーにインタビュー。バンドマンなどの有名人に近づくためのファンレターの書き方指南をし、最後は帝銀事件の弁護人にも会っちゃう。
とにかく内容が濃いのだが、それを独特の語り口調で淡々とツッコミをいれつつ書くと、なんとなくこちらがのほほんな気分になってしまうのだ。




オーケンが二十代後半で書いたエッセイ集。
カートコバーンの死亡ニュースから始まり、エロリビドーに悶々としていた二十代前半のことを書き綴り、最後はなぜかUFO関連の話でまとめている。

私はオーケンのエッセイに登場するUFO話が好きだ。
清家新一さんを知ったのもオーケンからだったし、「レティクル座」の存在もオーケンから知った。
オーケンのオカルトに対する斜めの見方が好きなのだ。
否定でも肯定でもなく、「こういう”現象”が面白い。周りの人の反応が面白い」とひたすら起こったことに対して面白がってる姿勢が好きなのだ。
私はこれを何冊かの本を通して見て、「UFOプロレス説」と呼んでいる。
プロレスは八百長が「ある」「ない」で見ていては本来の楽しみ方ができない。だからオカルトも「ある」「ない」で見るのはやめようよ、という説だ。
このキャンプ精神は本当に大切だと思う。
B級ホラー映画を見たときに、キミは「クソ脚本」と言って真正面から否定し怒り心頭になるか!? いや、どちらかというとレンタルしたり観に行った段階で「B級である」という情報は観る前から入っていることの方が多いのではないだろうか。それをわかっていながら楽しむ。むしろ論理が破綻しているところを面白がる。それがキャンプ精神だ。
本書にはオーケンのキャンプ精神がよくわかるエッセイも何本か収録されている。
ぜひ一読願いたいものだ。




 サクサク読めるエッセイとコラム。最後に載っている「妖精系・レーコ」との対談は、なんとも言えない甘酸っぱい感情を思い起こさせる。四谷シモンとかカタンドールなんかが抜け出てきたんじゃないかってほどの美少女で、さらにエキセントリックな行動を次々起こすレーコ。ヤクザの事務所に遊びに行ってふぐ刺しをご馳走になったり、精神病棟に「遊びに」言ってロールシャッハテストを受け「悪魔」「引き裂かれた黒猫」だとか「気の利いた」ことを言ってたら閉鎖病棟に入院になったり、「クリスマスまでにゴア」と突然思い立ってインドを放浪したり…。すごすぎる。
 そんなレーコに恋しちゃってたオーケンは、対談の間中きっとお父さんみたいな笑顔だったんだろうなあと思う。オーケンの恋愛は性欲と父性からしか出てこないので、多分久しぶりにあったレーコには父性のオーケンで接していたのだ。それがまたどこか悲しくて。滑稽である。
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