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小学生か中学生の頃に読んだ記憶はあるものの、いまいち脳裏に蘇ってこないギリシア神話。その代表的なエピソードをあげ、評論のように読み取れる哲学を述べているのが本書だ。
阿刀田の本自体がうちには少ない。多分私が阿刀田の文章が苦手だからなのだが、読みやすさにかけては天下一品だ。ちょくちょく挟まれるその時代を象徴するエピソードは今読んでも「これはひょっとしてギャグで言っているのか?」といったところだが、本文は素晴らしい。
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明治から昭和の時代までを生きた18名の文豪が残した、34の食べ物にまつわる話が入っている。どこから読んでも非常にうまそうだ。
この中で個人的に気になったのが堀辰雄。ステンドグラスの様なドロップを頬張り、ぶどう酒に変身した少女を飲み干す。これだけ魅力に溢れる文章を書くひとならば、きっと小説も面白いに違いない。
あとは芥川龍之介の「芋粥」が収録されているのだが、昔読んだ記憶を塗り替えて「こんな話だったのか…」と驚愕せしめられた。こんな難しい話が教科書に載ってるの本当よくないと思います!!



有名なタイトルすぎていままでずっと「難しそうだ」と敬遠していたが、読んでみたら大変に面白かった。
まさか医学を絡めた人間の根源的な罪についての話だとは。

「私」が引っ越した先には、勝呂という医者が住んでいた。人を寄せ付けない雰囲気をまといながらも腕は確かで、「私」は興味を惹かれる。旅行先で、勝呂が過去犯罪に関わっていたことを知り、それを知っているぞと「私」は勝呂に匂わせる。
勝呂が犯罪に関わったのは医学生の時で、それは米国の捕虜を生体解剖したという”実験”だった。
人間はどの程度肺がなくなっても死なないのか。生理食塩水をどの程度注入すると死ぬのか。空気はどうか。
これらは戦争の真っ只中において非常に必要な情報だった。
特に肺の損失については、結核医である勝呂にとっても大事な情報ではあった。
勝呂は大部屋の患者に先生と慕われて、日々同じ研究生の戸田と仲良くやっている。
その戸田と自分の罪に対する考え方の違いや、人間性の違いなどを生体解剖という実際に起きた事件を元に鋭く描き出した作品。

なぜタイトルが『海と毒薬』なのだろう。
メインの舞台が福岡なので、海はなんとなく分かる。
しかし毒薬の方は、いくら医療モノだとは言え本文中には出てこない。かろうじて出てくるのは麻酔薬を安楽死のために使おうとするシーンのみだ。
これもタイトルを、原罪をメインに解いていくとなんとなく理解ができてくる。
生命の根源である海。全ての命はそこから生まれた。
死を連想させる毒薬。これは罪に対する罪悪感などを暗喩しているのではないだろうか。

ずっとなんでこのタイトルなんだろうと思っていたのが、ちょっと自分なりの解釈ができて嬉しい。
2016.08.16 DZ:小笠原慧



淡々と書き連ねられる幾つかのエピソードが集約し、人類の進化という大きなテーマへ導く傑作。

ベトナムで子供を身ごもった女性。危殆妊娠と告げられ堕胎を勧められるが、腹部で赤ちゃんが動くのを感じてボート・ピープルとなり母国を脱出する。
アメリカのとある地方で、変わり者の夫婦が殺害されているのが見つかる。夫妻はフリーザーにつめこまれていた。
日本のとある家庭では、2歳になった娘が8歳並みの知能を持っていることがわかる。しかし、その後娘は小児統合失調症の診断を下され、関西の山あいの医療施設へ保護される。
日本からアメリカのボルチモアへ留学している石橋は、画期的な実験の手伝いをすることになり、その興奮と喜びを抱えて帰国した時には恋人の涼子へプロポーズしようと思っていた。が、彼は研究に不穏なものを感じ、調べると同時に殺されてしまう。
その恋人涼子は、障害児施設で働くことに決め、地方で一生を終えるつもりだった。

この断片的なエピソードが絡み合い、物語に大きなうねりをもたらしている。
ヒトが進化した時には、ヒトとしての心は無くしてしまうのだろうか。
心とは遺伝子学上での分類でわけられるものだろうか。




私はこの人の書くお菓子をいつも「美味しそうだな」と思って読む。
食べたことのあるもの、名前は知っているけれど未知のもの、なんとなく味が想像できるもの…おみやげには色々あるけれど、泉さんの書くおみやげはなんとなく美味しそうなのだ。
北は北海道から南は沖縄の離島までしっかりあちこちでおみやげを購入している。生菓子もあればプリッツなどのご当地ものもある。そのどれもがうまそうだ。
泉さんを初めて知ったのは「おやつストーリー」という本でだった。その時の筆名はオカシ屋ケン太だった。もう廃盤で手に入らないお菓子たちをとっても美味しそうに書くこの文庫は、読んでいるだけで楽しい。なんとなくその時代を生きた気分になる。
それと一緒で、本書を読むと、そこに旅した気分になる。
自分が買ってきたおみやげを味わっているような不思議な気分になるのだ。味の形容の仕方がとにかく上手だ。ピンとくる。
少々情報としては古いけれど、おみやげの参考書にもなりそうだ。




漫画家安野モヨコの食べ物エッセイ集。
タイトルは担当編集者が「安野さんは食い意地がはってるからこれでいきましょう」と決めたものだそうだ。
うーん、確かにそうかもしれない。
だってどの食べ物をみても実際の数倍は美味しそうに書いて(描いて)いるのだ。
適当にめくったページから挙げていこう。
「野菜のケーキ」「機内食」「葉山牛」「追加注文」「黒豆」「忘年会のごちそう」「紫蘇」…タイトルだけだとちょっと内容がつかめないものもあるだろうが、どれも美味しそうであった。

別に庵野夫妻に影響された訳ではないが、私は最近野菜や大豆製品で白飯を食べるのにはまっている。庵野は本書にある通り卵や乳製品などはとるが肉や魚を食べない菜食主義者だ。それを愛妻安野(ややこしいな)が理解し、「デートがうどん屋かあ…」などと寂しくなるも連れ添うようになると愛妻弁当を旦那にもたせているのは素晴らしい。そしてそれが本当に美味しそうなのである。
この本の前に嵐山光三郎「文人悪食」を読んでいた私は、宮沢賢治の菜食主義にも触れていたし、誰だったかの書いた(ごめん忘れてしまった)「焼いた油揚げに醤油をかけるとバリバリと跳ね返って…」という文章がとにかくうまそうで、それ以来なんとなくだが油揚げを焼いて食べている。
網焼きでないからなのか焼き方が悪いからなのかはわからないが「バリバリと醤油が跳ね返って」はこないものの、十分旨味があって、肉や魚ではなくても白米はすすむものなのだ、と納得してしまった。
その前は玉ねぎの炒めたのに醤油と鰹節をかけておかずにしていた。なぜかうちではこれを作ってくれというと厚揚げの焼いたのもセットで出てくる。
昨日はキャベツとピーマンとナスを油を使わないで焼いたのに塩とポン酢で食べた。少々の豚バラも食べたが、メインは野菜である。

なんだか「年齢を重ねるってことは、解りやすい味だけを求める訳ではないんだなあ」としみじみ実感する。
そりゃ時たま味の濃いがっつりしたものも食べたくはなるのだが、それよりも自分で驚くのが、20代まで求めていた「糖分! 脂質! 塩気!」の食事ではなくなってきていることである。
安野も本書で述べているのだが、彼女の食卓もどちらかというとあまり手を加えていない、素材の味を生かしたものが多いように感じる。
そんなことをぼんやりと感じる夕暮れ、今日の夕飯は油揚げの焼いたのにかりかりのしらすを炒めたのをのっけて、万能ネギをちらして醤油をかけたものに決定しているのだった。




死刑は廃止するべきなのか否か。
この本では徹底的に、「死刑なんてものは廃止するべきだ」「どの命も命には変わりなく尊い」と説いている。

ここにひとつの殺人事件のモデルケースがあったとしよう。なお、この場合殺人を犯したものは基本死刑となるとする。
AがBを殺した。
これだけでは、死刑にするべきだろう。
しかし、情報がはいるとこれは変わってくる。
BはAの妹を殺そうとしたのでAは妹を助けるためにBを殺した。
これならば、Aは世論的にも情状酌量で死刑は免れる。
Aが快楽殺人のために何もしていない善良なBを殺した。
こうなればAは間違いなく死刑で、その罪は逃れられない。

私は本書を読んで「矛盾しているなあ」と感じた。
死刑執行人は確かに、なにか恨みでもあるわけでもないのに仕事というだけで人を殺さねばならぬ苦悩を味わっているだろう。そのために死刑廃止論者になるのも理解はできる。
本文には、「人の命は地球より重い」という有名な一文を引用する部分がある。
だから死刑囚の命も救うべきではないのか、という論調だ。
いや待てよ。
そもそもなんでそいつが死刑囚になったかというと、人を殺したからだろ。
その地球より重い命を奪った人間が、その後宗教なり芸術に目覚めて素晴らしい人間になったからといって、それは被害者の命を奪った事実より重要で加害者を生き延びさせる理由たり得るのか。

私は死刑はどちらかというと、肯定派だ。
命は命で贖うべきだと思う。
その後更生したからといって、罪は消えない。
死刑囚だってそのことはわかっていると思う。だからこそ、立派に更生して本書で言う所の「素晴らしい人間」になったあと、粛々と死んでいくのではないだろうか。
4人殺した男が、「私一人の命で償えるのか」と問う場面がある。
償えないからこそ、遺族の悲しみを和らげるために死ぬのではないだろうか。
言ってしまえば贄だ。
刑務官の方には申し訳ないが、この上っ面だけ成長して実際は野蛮な国では、死刑がなくなることはこの先しばらくないと思う。それは死刑が野蛮だと言っているのではなく、犯罪とそれに対する感情が野蛮だと思っている。
未だ途上国では石投げなどの刑がある。
反面イギリスなどでは死刑は廃止されている。
では、日本はヨーロッパに追従して死刑を廃止するべきなのか。
それは、犯罪者が絶対に「刑務所から出てくることはない」という状態にならないと難しいだろう。
オノ・ヨーコは、夫のジョン・レノンを殺した犯人が服役期間を終えると聞いて、なんども「恐ろしいから出さないでくれ」と訴えている。
死刑がなくなれば、犯罪の抑止力はひとつ減る。
どんなに凶悪な犯罪を犯しても「自分が死ぬことはないし大人しくしていればいつか出られるかもしれない」と思うからだ。
日本社会が犯罪に対する考えを改めなければ、この取材を受けた刑務官たちの「死刑を廃止してほしい」という気持ちはいつまでも届くことはないだろう。




最後の数ページがあまりの衝撃で、思わず目を見開いた。
ミステリながら捜査小説として完成度の高い一品。生徒との浮気で家庭内別居状態だった高校教師・辻の妻が突如失踪する。同時期、生活安全課の刑事である蛯原の妻・和子はラブホテルの中で遺体で見つかる。行方を追っていた辻は和子を殺した犯人を追っている蛯原と、新興宗教で出会い、行動をともにするようになる。そして驚愕の結末、教団の真相ーー。
我孫子が得意などんでん返しものだが、よくよく読んでも隠されたヒントが探しにくく、よく出来ている。結末もそこいらにあふれている「実はこの人が犯人でした」といった簡単なものではなく、ちゃんと筋が通っている。作者の最高傑作である(と私は信じて疑わない)「殺戮に至る病」と似たような衝撃を受けた。一読する価値はある。




人とはちょっと違う特殊な力をもった少女、根岸美弥子。通称ネコ。同じ異端の仲間であるテレポーター杳と「仲間じゃないか」と思われる桂一郎が三人そろった瞬間異世界にとばされて、そこで伝説の女王「ネリューラ」と呼ばれることに。飛ばされた中の国は西の国の征服を受けていて、戦争しなくちゃならない。果たしてどうなるの?
二十歳の頃に書いたというだけあって、文章が瑞々しく軽く読みやすい。一人称ですすむ話は感情移入が出来ないとつらいが、これはそんなこともなくすらすらと読めた。ネコが親友を作るシーンも素敵である。




 繊細な文体の恋愛小説だった。あまりにも細やかな書き方をされているので、少々くどい部分もあったが、大筋は楽しめた。内容はタイトルが示すとおり。病弱な少女と恐るべき自己治癒能力を備えた少年の淡い恋物語。
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